思考のボディ化 ー思考を感覚に変えるー
思考とは形のないもの。形のないものを相手にしてもどうしよもない。思考を形のあるものにすればいいのだ。それは感覚を使ったボディ化である。
思考とは形のないもの。形のないものを相手にしてもどうしよもない。思考を形のあるものにすればいいのだ。それは感覚を使ったボディ化である。
量子力学による二重スリッド実験において、観察することが観察結果に影響を与えるという。この観察者は誰であるのかが重要であるのだ。
インサイト、アウトサイト、メタサイト、洞察この三つの視点がこの泥にまみれた世界には必要だ。世間に溺れもがき苦しんだ過去において
こころ胸に起きるこのすえたような、苦い感覚は何だろう。いつも自己を卑下したときそれは起きる。それを抱いた結果自分を嫌になる。
肉体の老廃物はリンパ液で運ばれ膀胱から尿によって体外に排出される。脳は脳脊髄液で運ばれ同様に排出される。では思考はどうであろうか。
困惑することもあるだろう。悩みつまづくこともあるだろう。後ろを振り返り絶望することもあるだろう。でもわたしは生き続ける。
映画を楽しみにして行くとそうでもないこともある。でも、たまたまみた映画が以外に面白いこともある。これが予測と認知のズレである。
何ものでもないわたし。この先何かになる訳でもなく。この先何かできる訳でもなく。死の瞬間を予期するもなく。 唐突に終わりを迎える人生。これがわたしである
肉体的な苦しみ、精神的な苦しみさまざまに苦しみはあるけれど、肉体的なものは避けることはできる。だが、精神的なものとなると話は別である。
あれもできていない、これもできていない。常にあたふた。常に何かに急かされ、効率を上げることがわたしの使命のように感じている認知。