
ようこそ!
この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。
この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。
生きることに目的は存在しない。もし生命に生きる目的があるなら、人間以外の動物・昆虫・植物に聞けばいい。でも彼らは質問する意味を理解することはない。それは、そこに意味がないからである。
こころは見えない。でも、感じることはできる。だから、この感性を磨かなければならない。感性を磨き、こころを探る。
仕事は今日はここまでいいと思うと…それ以上進んでしまう。ここまでやろうと思うと…そこまで行かない。頭で考える思いと、実際の結末は違う。現実とはそういうものだ。
固執した考えは、記憶に力があり、この力が失われるまで続く。これは繰り返えされ、飽き時無頓着になるときに解かれる。
行動とは、再現可能・観察可能であり、それ以上具体化できないもの。それを踏まえて、人間は考えることより、行動することが重要なのである。
五感のどの感覚であれ錯覚はある。特に心の本質は、妄想であり錯覚である。心には、凝り固まった常識という錯覚が根付いている。
日常の生活には、さまざまな問題があり。身体の隅々までその習慣が染み付いている。だから瞑想の力により、自己から解かれ無我となる。
その痛み、何度来ようが何度でも解いてやる。また来たか、ならまた解いてやる。こうして何度でも何回でも痛みの輪廻を解く。
痛みがこれほど思考を鈍らせるとは思わなかった。痛みとは、誰もが抱える問題である。それは誰も代わってあげられない。この本質を考える。
あーこれは最悪だ。口からため息と共に思考が持ち上がる。これは現実であろうが、最悪の根拠がない。そうこれはそう大したことではないのだ。