ようこそ!

ようこそ!

この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。

変化を望まない身体と成長を望む意識

変化を望まない身体と成長を望む意識

成長とは、経験という努力を繰り返してして比例して現れるのではない。長い時間の停滞期を経て徐々に変化して、突然指数関数的に変化が現れ成果が実るのである。これをシンギュラーポイントという。ホメオスタシスを如何に味方につけるか。抵抗を超え あきるを越え、習慣となるかのこの線を考える。

感覚の不思議さ 

感覚の不思議さ 

身体の感覚、暑い、硬い、振動のようなモノさまざまに感覚を感じる。これは、一対である部位、右と左でも違う。当然、今とさっきでも今も違う。だから一所懸命に、今のこの感覚を観察する。変化する自分を実感すれば、心は最終的に落ち着く。これは何度やっても変わらない現実、それが感覚の不思議さである。

この異質な感覚の正体とは

この異質な感覚の正体とは

神社、地域、会社、国家さまざまに結界は存在している。わたしという存在でさえ、結界である。結界とは、集合体である。結界の内に入れば心地が良い。入るためには同調性が必要である。これに反するものは異端児となり排斥される。これがカンパニー:集合体の特徴である。これに異質な感覚の正体を見る。

人生を楽しむこと

人生を楽しむこと

緊張とは、自己が自己を認識することで起きる緊張したくないと、自己が思えば思うほどに認識された自己が緊張を生む。でもこの自己がなければ人に成長は訪れない。これば自己の認識せずに成長がなくなる瞬間、何度やっても同じ結果となると諦めた瞬間、それが本当の意味での年寄りとなった時である。

実用的な瞑想を目指す

実用的な瞑想を目指す

感覚を探る旅。それは思考が作る世界にあって、暴風にも飛ばされずに感覚を探りつづけるには感覚を頼りに、注意を緩めず引きすぎず、決して注意を切らさずに感覚を実感しながら旅をする。これが瞑想を使った、内なる感覚を探る旅である。

我が自己のうちに作る世界

我が自己のうちに作る世界

主役はわたし、助演もわたし、演出・場面・セリフすべてはわたしが決める。この中で何が正しい選択だと言えよう。この理解が欠けているからこそ、苦しみが生まれていたのだ。この間違っている土台の上で判断している。だから、正しい選択ができなかったのだ。自己による正しい選択とは何かついて考える。

妄想のドラマから 生命の安らぎを知る

妄想のドラマから 生命の安らぎを知る

苦しみは妄想から生まれ、消え去る。安らぎは感覚から生まれ、消え去る。それは身体は常に様々に変化しているから、故に苦しみも安らぎも常に変化している。これを新たに生み出さなければ、最後には消え去る運命のものである。苦しみと安らぎとは人類に必須のアイテムであるのだ。

グッドルーザー よき敗者となる

グッドルーザー よき敗者となる

ある意味で自己と付き合うには、good loser:よき敗者となるべきである。自己とは、生命による影であって、自己が存在しているから生命があるのではない。この「負けて参って任せて待つ」の思考こそが、自己の変容を生むのだ。このことについて考える。

脳の思考の作る仮想空間〜メタバース

脳の思考の作る仮想空間〜メタバース

思考は脳の仮想空間メタバースである。この脳はペンフィールドの脳内地図により、唇や手などの一部しか強化されていないことがわかる。脳全体を活性化するには瞑想が必要である。ヴィパッサナー瞑想では、脳全体の使用領域が広げられる。脳はそのために記憶領域と思考を発展させてきたのだから。

こころのレジリエンス:回復とは

こころのレジリエンス:回復とは

予期せぬトラブルによるダメージが起き、生命はリカバリー:回復される生きている。生命の営みとはそういうことである。人体を構成する生命である内なる細胞が、ダメージが生まれる度に回復力発揮させ、自己を回復させる。否応なくである。でも、それだけであろうか?それは何かを考える。