
燃え尽きとwell being ーそこにただあることを認めるー
燃え尽きの防止に関して、休暇を取ることとは限らない。燃え尽きるのは、新たに燃料が足されないから燃料不足となるのだ。燃料とは何か?
燃え尽きの防止に関して、休暇を取ることとは限らない。燃え尽きるのは、新たに燃料が足されないから燃料不足となるのだ。燃料とは何か?
疲れ果てたとき、たとえ時間があって横になったとしても身体は休まらない。そこが安心できる、環境でなければならなのである。
すべては今この瞬間に変わっている。だから私は身体の変化耳を澄ます。その変化は些細かもしれない。だから、その感覚に耳を澄ます。
臥薪嘗胆とは、将来のために今苦しみに耐えるという生き方。定年に明るい人生が待っているから、今を生きるという考え、でもこれで幸せか?
道徳的胆力を持つとは、自分との意見が主流派と対立する時に拒絶、批判、避難、怒り、責めを受け入れるだけの広い心を持つ必要がある。
自分は世の中で役立っていたい、そう思い悩む。ただ生き、ただ死ねないのだ。だから人生の荒波でもがき苦しむのだ。
行動動機を裏付けるものとは何か?それは好奇心である。どれだけしなければならないことも、興味のないことには人は決して動かないのだから。
私たちは社会、つまり人との関わり合いの中に幸せを求める。でも様々な問題や困難があり 実現は難しい。それでも人はこの世で幸せを求める。
死なない程度の極限は人を最大に成長させる。ここで死なないことが大切だ。限界までの経験を蓄積が宝となる。大半は極限を超え死んでしまう。
なぜに言葉による呪縛は存在するのか。戦争における負けを連想させるものなど忌み嫌う習性を持ち。この日本人が持つ言葉の縛りが言霊である。