「 2020年11月 」一覧

瞑想の真価

瞑想の真価

瞑想の真価とは、何かを考える。日常の苦しみを伴う修行も、何の為に行っているのか?疑問を抱くこともあるだろう、瞑想をやめてしまおう、そう思うことはこれまで幾度もあった。当然であろう、そのことを先達は答えてこなかったのだ。その真価についてわたしの体験を持って答える。

瞑想ををして何になるのか

瞑想ををして何になるのか

“座禅をしたって何にもならない“と澤木老師が言ったそうだ。確かにそうだろう。でも何か一歩進めることはできないだろうか?諦めず神通力にも頼らず、何かわたしのできることを探る。瞑想による変化と真実を考える。

苦しみの変容

苦しみの変容

欲することから、生まれる苦しみ。お金を増やして豊かに生きたい。仕事でもっと出世して偉くなりたいetc。全ては欲すること。でも、人である限り、欲することはやめたれない。この苦しみを変容するために必要なこととは何か?考える。

人の器とは

人の器とは

お猪口のように小さいわたしの器を知る瞬間がある。わたしは、他人への優しさを持っているつもりでいた。しかし、仕事などの疲れにより初めに失われるのは、いつも相手への優しさであり、残るのは怒りと苦しみであった。人の器とは何か?そのための態度とは何か?考える。

自分とは何か?について考える

自分とは何か?について考える

自分とは何か?について考える >>これまで、モヤモヤっとしたわたしであっても、身体を預け、自分の拠り所に落ち着けば、何かわたしではないわたしが起き上がる。これが、リリーフピッチャーによる選手交代である。これが起きれば、それまで自分がライフシフトとする。