生きるための智慧

生きるための智慧

智慧とは日常で役に立つことでなければならない。単に自己の考えや誰かからの見聞きした知識ではなく。智慧とは、日常の生活で実際に役立つことそれは再現性があり、かつ誰にでも当てはまること。誰にとっても有益で実践できることから、智慧とは科学と言えるかもしれない。

皮袋とともに生きる〜Body in journey

皮袋とともに生きる〜Body in journey

人は物事をイメージ考えることが多すぎる。イメージとはわたしに生まれる妄想。私とは、骨格に付属された水入りの皮袋。この皮袋に入ったわたしの作る世界が妄想。世界を悪くしている要因はイメージにある。イメージで考えるな、目の前の現実で判断せよ。そうすれば世の中はもっと良くなるそう考える。

無明〜苦しみから解かれる

無明〜苦しみから解かれる

この苦しみは何だ。この苦しみから逃れたい。でも苦しみから逃れられない。これは苦しみに苦しんでる。際限のない状態、これは無明、身体と対話する。瞑想でより深く、より繊細にすると光が差す。これが苦しみから解かれるということ。わたしの知っている唯一の方法である。

自己というもの

自己というもの

自己というもの、人は生まれ死んでいく誰にでも当たり前に起きる。当然の真理生まれるとは、受精して、分裂し、母体から切り離された瞬間に境目生じる。個体が生まれる死ぬとは、この細胞の境目が保持できずに崩壊した結果、自己と他者の境界がなくなり世界と一体に戻る。これが自己である。

きりがない〜きりがない〜

きりがない〜きりがない〜

きりがない〜きりがない〜(どぶろっく、コントより)。これは、どぶろっくのコントであるとにかく欲にはきりがないことを実感する。このきりがない欲が苦しみを生んでいることは周知の事実である。このきりがない、これは誰?これは私たちである。これについて考える。

わたしが向き合わねばならないものとは

わたしが向き合わねばならないものとは

わたしが向き合わなければならないのは、妄想ではなく現実にある感覚であったのだ。妄想を考えても時間の無駄。妄想は相手にせずにサラリと流すもの。この現実を知った上でも、妄想はいつしか頭の中を占め、内に妄想のドラマを繰り広げる。この現実にあっても妄想と共存するという生き方を探りたい。

自己の真の理解とは

自己の真の理解とは

自己の真の理解とは、容易ではない。頭で理解(think)しても、心は理解していないのだから。それは自分の経験(experience)で理解しなければならない。それも自らの経験において。どんな素晴らしい人の言葉を持ってしても、私にとっては真の理解にはならない。このことについて考える。

自己のかたち

自己のかたち

自己とは、さまざまな角度から自己を観察するしかない。わたしの視点、偏った視点から見ても、真の姿は見えない。あるはずの自分の鼻が、普段は見えていないように。片目を瞑った時にしか、目には見えないものもある。当たり前に、すべて見えてると思うものそれこそ疑うべきである。

生きるための智慧

生きるための智慧

「生きるための智慧」使い古された言葉だけど、これがわたしのうちから出された言葉であれば意味は違う。この言葉の真実には血が通う心理が存在するからだ。この言葉を胸に人生を生きる生き方ではなく、生きることにより得られる智慧が大切なのだ。

感覚を探る旅〜グレートジャーニー

感覚を探る旅〜グレートジャーニー

グレートジャーニーとは、人類が起源のアフリカから離れ世界に広がっていった旅である。この続きは、宇宙という物理的な世界と内なる宇宙精神的なものに続いている。感覚を探る旅は、今始まったばかり、さまざまな人種や宗教や個人というの枠を外れ、人類共通の目指す方向に旅は続く。