何もしない自分を認める ータブラ・ラーサー

何もしない自分を認める ータブラ・ラーサー

わたしができることなんで 何ひとつもない

ここで自分が何かしても 何も起きない

ここで自分が何かしなくとも 何かは常に起きて来る

そう自分という存在は そもその何の社会的な関与はしているようでしていない

それでもすべては社会の恩恵を得て生きている

誰かかすれば わたしは助かる わたしがすれば 誰かが助かる

その誰かが 誰であれ見えない線でつながっている 不思議な関係性である

でも蝉は秋になれば 文句も言わずにただ死んでいくように

わたしも 何も言わずに寿命とともに死を受け入れることになるだろうか

そこに欲が存在する

自分は世の中で役立っていたい 生きたい そう思い悩む

ただ生き ただ死ねないのだ

だから人生の荒波で もがき苦しむのだ

これが 人間という認知機能を有した 人間という動物種の定めなのだ

この欲望のサイクルを人類が生まれてから 回し続けている

回し回されて 幸不幸が生まれ 戦争や貧困や差別が起きる

これを原点まで巻き戻す 生まれた白紙の状態まで還元される タブラ・ラーサ

思考が失われ 白紙まで還元された状態において何が自分ができるのか

この問いに答えること こそがわたしとは何かの問いに解決をもたらす

何でもない自分は 何もしない自分を認める タブラ・ラーサである