「 2021年01月 」一覧

苦しみから解かれる瞑想

苦しみから解かれる瞑想

苦しみに耐えながら、日常を送っているすべての人々に伝えたい。「いろいろなことを考え何もしないことより、今この身体を使ってできることをして、これからに備えることの方が重要ある」今この身体を使ってできることとは何か?苦しみを理解して解かれるとは何かを考える。

感覚の安らぎ

感覚の安らぎ

思考は苦しみを生む、感覚は安らぎを与える。思考は身体から感覚を離す。わたしは、感覚を探り、感覚を取り戻す。そうやって意識的に思考から感覚を瞑想のチカラで取り戻す。そうして、得られた安らぎには安心が生まれる。この過程において思考から感覚をとり戻すとは何かを考える。

我が、己の器において立つ

我が、己の器において立つ

瞑想のチカラにより意識的に我を強め、内にある確固たる我を知れば、我は己から離れ無我となる。そのためにも、我とは何かを意識のチカラで、正確に定義する必要がある。これにより、日常で思考に蒙昧することがあっても、妄想から自分の身体を取り戻す、これが我が己の器において立つということである。

関心ー理解ー解脱→苦しみから解かれた存在へ

関心ー理解ー解脱→苦しみから解かれた存在へ

物事の道理を曲げるのは無関心である政治も仕事も人間関係も、すべては無関心が道理を曲げる。もし、この道理が曲げられれば、ココロに歪みが生じる。そこに苦しみが生じムダなエネルギーが消費される。だから無関心は良くない。やがて、関心ー理解ー解脱、苦しみが解かれた存在へなるために。

この世界の真実

この世界の真実

この世界には多く苦しみが存在する。このすべての苦しみは、成長するための過程である。自己の成長には、もがき苦しむことが必要である。サナギから脱皮するように、これまでの自己殻からのフレームアウトがこの世界の真実を知るためには必要であるのだ。それを探求する。