ようこそ!
この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。
この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。
世の中経験していくと、教科書のように正解と不正解が明確でないことがわかる。理解できないこの判然しないことが、モヤモヤの原因である。
だれもが日常の言語を理解することは、当然簡単だと思っている。認知の根底にある言語の判断があるが、そう単純ではないのである。
風邪をひく。疲れが残る。頭が痛い。これまで何度も経験したことでも 年を経るごとに 痛みが変質していることに気づく。
ひとは誰しも日常の仕事や嫌なことから、解かれる時間が必要だ。それは瞬間かもしれないし、それを持続できることが理想である。
やる事がうまく行かす土壺に入り、イライラし、物に当たってもしょうがないでもこの怒りは収まらない。これが衝動の現実である。
相手に対してこれだけしてやったのに失敗しやがってとか、恩義を感じていないのかとか、自分に対する見返りを期待してしまう自分を知る。
次々に頭に浮かぶ思考。自分がいつも苦しいのは、そうだあいつがそうしないからだ。これが頭の中を占め、判断をバランスを偏らせる。
人生において求めるのもそれは何か?何かを達成した成果か?いや違う。お金や財産か?いや違う。人間関係か?たぶんそれも違う。なら何か
燃え尽きの防止に関して、休暇を取ることとは限らない。燃え尽きるのは、新たに燃料が足されないから燃料不足となるのだ。燃料とは何か?
疲れ果てたとき、たとえ時間があって横になったとしても身体は休まらない。そこが安心できる、環境でなければならなのである。