ようこそ!

ようこそ!

この今、この身体にもたらされるわたしの生は無限ではない。 だからこそ、この時この経験から得られる言葉をのこす。

自己というもの

自己というもの

自己というもの、人は生まれ死んでいく誰にでも当たり前に起きる。当然の真理生まれるとは、受精して、分裂し、母体から切り離された瞬間に境目生じる。個体が生まれる死ぬとは、この細胞の境目が保持できずに崩壊した結果、自己と他者の境界がなくなり世界と一体に戻る。これが自己である。

きりがない〜きりがない〜

きりがない〜きりがない〜

きりがない〜きりがない〜(どぶろっく、コントより)。これは、どぶろっくのコントであるとにかく欲にはきりがないことを実感する。このきりがない欲が苦しみを生んでいることは周知の事実である。このきりがない、これは誰?これは私たちである。これについて考える。

わたしが向き合わねばならないものとは

わたしが向き合わねばならないものとは

わたしが向き合わなければならないのは、妄想ではなく現実にある感覚であったのだ。妄想を考えても時間の無駄。妄想は相手にせずにサラリと流すもの。この現実を知った上でも、妄想はいつしか頭の中を占め、内に妄想のドラマを繰り広げる。この現実にあっても妄想と共存するという生き方を探りたい。

自己の真の理解とは

自己の真の理解とは

自己の真の理解とは、容易ではない。頭で理解(think)しても、心は理解していないのだから。それは自分の経験(experience)で理解しなければならない。それも自らの経験において。どんな素晴らしい人の言葉を持ってしても、私にとっては真の理解にはならない。このことについて考える。

自己のかたち

自己のかたち

自己とは、さまざまな角度から自己を観察するしかない。わたしの視点、偏った視点から見ても、真の姿は見えない。あるはずの自分の鼻が、普段は見えていないように。片目を瞑った時にしか、目には見えないものもある。当たり前に、すべて見えてると思うものそれこそ疑うべきである。

生きるための智慧

生きるための智慧

「生きるための智慧」使い古された言葉だけど、これがわたしのうちから出された言葉であれば意味は違う。この言葉の真実には血が通う心理が存在するからだ。この言葉を胸に人生を生きる生き方ではなく、生きることにより得られる智慧が大切なのだ。

感覚を探る旅〜グレートジャーニー

感覚を探る旅〜グレートジャーニー

グレートジャーニーとは、人類が起源のアフリカから離れ世界に広がっていった旅である。この続きは、宇宙という物理的な世界と内なる宇宙精神的なものに続いている。感覚を探る旅は、今始まったばかり、さまざまな人種や宗教や個人というの枠を外れ、人類共通の目指す方向に旅は続く。

クラウドシンキング

クラウドシンキング

クラウドシンキングとは、内に生まれるさまざまな考え。答えがわからない苦しみを感じているとき、それは内に何かしら変化を生じているサイン。わたしを含む宇宙におけるすべての存在は、同じ原点を持つ存在。でも今はさまざまな思考により、分断された存在。導けない問題の解がそこにあるかも知れない。

わたしという存在〜縁(よすが)に生きる

わたしという存在〜縁(よすが)に生きる

そもそも、わたしという存在は苦しみを感じたものにしか、回答を得られない。苦しみを感じないものにしか、答えが出せないのだ。悩んでいるのは、何に苦しんでいるか理解していないだけ、苦しみを理解する努力をすれば、その解決方法は自ずと現れるこれがわたしというフレームの特性(よすが)である。

意識は前に、行動は現実に任せる〜生きかた

意識は前に、行動は現実に任せる〜生きかた

日常の生活でも、困難でさあざまに嫌なことが起きる。こんなときでも、立ち止まっても足元を見て続けてないけない。足元を見ているということは、次々に起きる現実、つまり変えようのない過ぎ去った過去の見ているからだ。だから、意識は前に向けつつも、行動は現実に任せる。この生きかたについて考える。