皮袋とともに生きる〜Body in journey
人は物事をイメージ考えることが多すぎる。イメージとはわたしに生まれる妄想。私とは、骨格に付属された水入りの皮袋。この皮袋に入ったわたしの作る世界が妄想。世界を悪くしている要因はイメージにある。イメージで考えるな、目の前の現実で判断せよ。そうすれば世の中はもっと良くなるそう考える。
人は物事をイメージ考えることが多すぎる。イメージとはわたしに生まれる妄想。私とは、骨格に付属された水入りの皮袋。この皮袋に入ったわたしの作る世界が妄想。世界を悪くしている要因はイメージにある。イメージで考えるな、目の前の現実で判断せよ。そうすれば世の中はもっと良くなるそう考える。
この苦しみは何だ。この苦しみから逃れたい。でも苦しみから逃れられない。これは苦しみに苦しんでる。際限のない状態、これは無明、身体と対話する。瞑想でより深く、より繊細にすると光が差す。これが苦しみから解かれるということ。わたしの知っている唯一の方法である。
自己というもの、人は生まれ死んでいく誰にでも当たり前に起きる。当然の真理生まれるとは、受精して、分裂し、母体から切り離された瞬間に境目生じる。個体が生まれる死ぬとは、この細胞の境目が保持できずに崩壊した結果、自己と他者の境界がなくなり世界と一体に戻る。これが自己である。
きりがない〜きりがない〜(どぶろっく、コントより)。これは、どぶろっくのコントであるとにかく欲にはきりがないことを実感する。このきりがない欲が苦しみを生んでいることは周知の事実である。このきりがない、これは誰?これは私たちである。これについて考える。
わたしが向き合わなければならないのは、妄想ではなく現実にある感覚であったのだ。妄想を考えても時間の無駄。妄想は相手にせずにサラリと流すもの。この現実を知った上でも、妄想はいつしか頭の中を占め、内に妄想のドラマを繰り広げる。この現実にあっても妄想と共存するという生き方を探りたい。