わたしが向き合わねばならなものとは
わたしが向き合わなければならないのは
妄想ではなく 現実にある感覚であったのだ
妄想を考えても時間の無駄
妄想は相手にせずにサラリと流すもの
今を俯瞰する
今 座っている
今 感覚を探る瞑想をしている
今 感覚を探るながらも妄想が起きた
今 妄想が 素晴らしい妄想が起きる
でも未来は変えられない
未来を変えるには 未来の今のわたしだ
今 わたしが変えられるもの
それは 今妄想しているわたしを引いて俯瞰で観察することのみである
今 わたしは ただ座っている
この現実を
妄想に良いも悪いない
感覚を探る瞑想をしていると
必ず感覚からドラマが展開されるこれが妄想である
妄想が展開されるとそれがいいとか悪いとか判断が始まる
これは経験からこの先どうすべきか思考が廻らされているのだが
果たしてこれに価値があるのだろうか
ないと思う
過去に起きたシチュエーションは2度とないからである
全く同じでなければならない経験は存在しない
これは真実である
ならば妄想に思考を巡らすことに意味はれど価値はない
これに付き合う必要がない
ならは手放そう価値判断を
すればもっと重要な問題が見えて来る
妄想で遊ぶな 妄想と戦う
これが答えだ
こうなる落としどころ
意図せず自ずから こうなるしかない落としどころ
仙骨を立てるため
座った姿勢で前傾に身体を倒す
すると仙骨の位置が定まる
これをすれば否応なく腰仙骨の位置が定まる
否応なくそうなるべくしてそうなること
こういうことがたくさんある筈だ