自己の真の理解とは

自己の真の理解

自己の真の理解とは 容易ではない

頭で理解(think)しても 心は理解していないのだから

それは自分の経験(experience)で理解しなければならない

それも自らの経験において

どんな素晴らしい人の言葉を持ってしても 私にとって真の理解にはならない

それは 自分を理解できるのは 自分しかいないのだから

感覚を探るとは

感覚を探ってからだ全体を巡るとき

部分部分ごとに 快適か不快適かの感覚が起きる コンフォータブル アンコンフォータブル

これは現在置かれている状況においての事実であり 変えようのないもの

この肩の痛みはなんでか

この事実の感覚において 過去の記憶と照合が始まる

あっそうだ

この腕の痛さは小学校の野球のときに投げすぎて痛かったからだ ひどい監督がいたな 子供の成長も考えない酷いやつだ(嫌悪)

腕の心地悪さからこのように記憶が紐付き展開される

結果 なんて痛くて 酷く嫌な状況に落ちる

あいつが嫌だ 嫌いだと

反対に心地よい感覚になれば(渇望)

なんていい日だ このまま心地よい感覚を探りたい このままでいたい となる

最初に抱く感覚

記憶との連携

記憶から蘇る記憶の感覚

これが一連の連動である

これは人間が備え持っている危険感受性に起因する

感覚から過去の記憶を呼び起こして危険を回避する 自動思考である

これは 今はほとんど必要はないはず

でも確実に根を這っている

これが 適切に生活に生かされていればいいのだが 過剰に反応しているのが現代だ

過剰に妄想に反応した結果 攻撃 差別へのエネルギー源となる

自己への攻撃 悲観もそう

こうして廻る負の連鎖を断つにはどうしたらいい

簡単である最初の快適 不快適な感覚が起きても 事実は事実として反応しない

自己を育てること

これが感覚を探るヴィパッサナーである

これが瞑想の真実である

いのちの価値

すべてのいのちは平等ではない

差別や暴力や貧困 例を挙げれば限りない

なら何なのだ

すべてのいのちは公平である

この意味は

努力した結果は平等にはならない

だが努力したことによる経験を生かす機会を得られたことに対して公平である

これが機会損失(opportunity cost)である

これが人生における価値を生む

睡眠という手段を使って

ストレス ダメージ リカバリー

このサイクルで 日常は回っている

睡眠は 身体と精神に起きた このサイクルの リカバリー つまり回復を担う

人は ダメージを蓄積すればいつか 確実に破綻をきたす

これを回避するために 回復が必要だ

睡眠は 身体的ダメージを横になるレストことで回復し

精神的ダメージは夢で記憶の整理でノンレムーレム睡眠で回復させる

この2つが本来備わっている 仕組みである

これはすごいことである

でもこの凄さは見過ごされている

だから朝の瞑想は素晴らしいのだ

この回復された生まれ変わった身体で

目一杯瞑想しよう

これは努力ではなく 成長である