人間進化の可能性とは

人間進化の可能性とは

変異×適応=創造・進化。<変革とは>・・WHY・ミスをたくさん生む・進化・バカ・悪魔の思考。<適応とは>・・HOW・生存に適した選択・創造・秀才・天使の思考。創造には,人類の希望があり,進化には,生物の未来がある。この進化と適応における人間の可能性ついて考える。

こころから求めるものは〜感覚は快不快を左右するのか

こころから求めるものは〜感覚は快不快を左右するのか

心地よい感覚か?不快な感覚か?この快不快を判断するのは誰?これが扁桃体によるわたし、でも、これが本質か?いや違う。なら、何が判断しているのか?この快不快をもった時に、感覚で判断を生んでいる根を探る。その感覚が溶解した先には、快と不快を判断する根、これが快不快を判断するのかを考える。

我とは何か〜真我

我とは何か〜真我

我とは、何か。過去の記憶から我(わたし)は作られる。生まれてこれまでの記憶がありから我の存在を認識し、明日の未来も同様に存在するという思いから、今の存在を認識する。これは真実か、真我とは何か?これらについて考える。

持続的な幸せとは〜セロトニン的幸せ

持続的な幸せとは〜セロトニン的幸せ

過去の後悔と未来への不安。こころの波の表面に映る、さまざまな思考。過去や未来ではなく、今のこの感覚によるマインドフルネス瞑想である。今この内にある感覚を探ると、そこに安心がある。カラダの各所の繊細な感覚の底に、スッとした感覚が漂っていることに気づく。これがセロトニンによる感覚であった。

人の強さとは、破壊と再構築から生まれる

人の強さとは、破壊と再構築から生まれる

人間は生きている限り何度でも立ち上がれる。破壊をおそれず、再構築を面倒くさがらなければ、必ずレジリエンスのチカラにより成長できる。それが人間の本質である成長である。ただ、それを阻害するのは人の意思でもある。ならばこれを生かして、わたしは何を目指すのか、それは人としての強さである。

不器用なわたし

不器用なわたし

わたしは、決して器用な人間ではない。いや、率直なところかなり不器用な人間である。ならばこんな人間に生きる価値はあるのか?いやできれば、あると言いたい。なぜか?そんなの理由なんであるわけがない。当然!理由などない。それは生きることが目的ではないからだ。

思考の煙り

思考の煙り

思考の煙りとは、いつも間にかアタマの中をいっぱいにする得体の知れない存在である。この思考の煙りが感覚を感じることを見えなくする。でも、感覚は確実に身体に存在する。瞑想の最中でさえ、探っているのに感覚を見失う。見失う原因は、思考の煙りである。このこと思考の煙りについて考える。

ギルティ〜罪の意識

ギルティ〜罪の意識

根底にある罪の意識が、己の底に横たわっている。自己への攻撃と、自己の正当化、そして他者への攻撃である。でも、この一連の反応において、実は他者は存在しない。他者は、自分のアタマが展開する世界に存在する。この払拭できない罪の意識について考える。

この閉塞した国ニッポン

この閉塞した国ニッポン

この閉塞した社会ニッポン、この成熟したからこそ、破壊デストロイする人は必要である。この社会を強力にイノベートするとは、現状ありきのカイゼンではなくデストロイヤーつまり破壊者である。この生命の寿命もそういう破壊のプログラムがある。それは死である。この閉塞したニッポンの今後について考える。

思考を俯瞰する

思考を俯瞰する

感覚に集注できてもできなくとも、それぞれに価値がある。感覚から注意がそれて、何処かに意識が飛び去っても、必死で感覚を取り戻す。その努力こそに意味がある。これを理解でき実践ていても、思考に没入し抜け出せなくなる。これがの狭窄である。この状態において、自らどう対処すればいいかを考える。