ギルティ〜罪の意識

ギルティ〜罪の意識

根底にある罪の意識が、己の底に横たわっている。自己への攻撃と、自己の正当化、そして他者への攻撃である。でも、この一連の反応において、実は他者は存在しない。他者は、自分のアタマが展開する世界に存在する。この払拭できない罪の意識について考える。

この閉塞した国ニッポン

この閉塞した国ニッポン

この閉塞した社会ニッポン、この成熟したからこそ、破壊デストロイする人は必要である。この社会を強力にイノベートするとは、現状ありきのカイゼンではなくデストロイヤーつまり破壊者である。この生命の寿命もそういう破壊のプログラムがある。それは死である。この閉塞したニッポンの今後について考える。

思考を俯瞰する

思考を俯瞰する

感覚に集注できてもできなくとも、それぞれに価値がある。感覚から注意がそれて、何処かに意識が飛び去っても、必死で感覚を取り戻す。その努力こそに意味がある。これを理解でき実践ていても、思考に没入し抜け出せなくなる。これがの狭窄である。この状態において、自らどう対処すればいいかを考える。

思考に妄想を展開させない

思考に妄想を展開させない

今のこの苦しみがあるのは誰かのせいだと、現実に起きているかのように意見をつけて燃やす。この現在起きていないことに。これらは、過去の記憶からくる脳の勝手な妄想である。思考による妄想の世界がくるしみの原因である。この妄想を展開しないためにどうすればいいかを考える。

意識による自己のトレーニング

意識による自己のトレーニング

仕事で、無視され、貶され、侮辱され、自己の価値を踏みにじられたとき、その後に何度も嫌な反芻が起き、挫折し、自己を疲弊させた。どうすればいい。これまで自分は頑張り続けれた。快楽による現実逃避もした。でもこれでは、解決にならないことは分かっていた。ならばどうする、この課題について考える。

思考の理解により、自己の変革を成す

思考の理解により、自己の変革を成す

毎朝の瞑想の1時間、正直始める前は嫌だなといつも思う。この根底にあるもの、これは奥底で好き嫌いを感じるこころの根っこが反応しているのである。そのこころとは、思考である。思考とは、悪者ではない。思考と感覚のバランスが重要だったのだ。この理解ともに、自己の変革を成す。これについて考える。

頑なな本質の理解とともに

頑なな本質の理解とともに

瞑想のチカラで感覚を探ると何度も何度も、同じ思考のパターンが起きる。それは、日常の仕事などで、わたしの本質を捻じ曲げ、湾曲されれたとき、〉なんで俺がそうしなければならないの?怒りとともに、苦しみと反発が起きる。この背景には、頑なな本質の存在がある。この本質とは何かを考える。

苦しみから解かれる瞑想

苦しみから解かれる瞑想

苦しみに耐えながら、日常を送っているすべての人々に伝えたい。「いろいろなことを考え何もしないことより、今この身体を使ってできることをして、これからに備えることの方が重要ある」今この身体を使ってできることとは何か?苦しみを理解して解かれるとは何かを考える。

感覚の安らぎ

感覚の安らぎ

思考は苦しみを生む、感覚は安らぎを与える。思考は身体から感覚を離す。わたしは、感覚を探り、感覚を取り戻す。そうやって意識的に思考から感覚を瞑想のチカラで取り戻す。そうして、得られた安らぎには安心が生まれる。この過程において思考から感覚をとり戻すとは何かを考える。

我が、己の器において立つ

我が、己の器において立つ

瞑想のチカラにより意識的に我を強め、内にある確固たる我を知れば、我は己から離れ無我となる。そのためにも、我とは何かを意識のチカラで、正確に定義する必要がある。これにより、日常で思考に蒙昧することがあっても、妄想から自分の身体を取り戻す、これが我が己の器において立つということである。