適切に苦しむ豊さ
内の苦しみに気づき、それを無視せず適切に理解して、適切に苦しむこれが苦しみを味わう。最善の策これ無くして苦しみは消化できない。
内の苦しみに気づき、それを無視せず適切に理解して、適切に苦しむこれが苦しみを味わう。最善の策これ無くして苦しみは消化できない。
自虐を起こす己の本質を理解すると、ひとつ世界が広がる。己の理解している自分と、己ではコントロールできない自分この2つが存在している。
身体の内にある苦しみに目を向ける。肩の痛み、胸のソワソワ感など心地良さもあるだろうがでも大半が我慢できない苦しみあることが分かる。
滝壺の水は濁らないという。これは事実なのだろうがやがて忘れてしまうだろう。でも、わたしのことは決して忘れない。この違いが何か?
年齢を重ね、日常の努力がひどく億劫になってきた。その気持ちを忘れてはならない。折角なのでその対処方法を考えてみよう。
幸せとは何か?美味しいものを食べて、住むところがあり、快適な睡眠がとれていて、苦しみがないこと。これがあれば大抵幸せなのである。
文字や言葉は直接こころには響かない。それは脳の門番、脳関門が防ぐからである。この脳関門を自己の壁という。
そう未来はこのままの延長上にはない。変革を生み出してこそ望む未来は存在する。この現状に甘んじるな苦境にこそ未来を作る力があるのだ。
自分が諦めてしまうとは、努力が無意味と思うこと。自分の可能性がないと思うこと。未来に価値を見出せなること。自分を諦めたときである。
記憶は連続していると思っている。でも記憶は一度(たび)一度(たび)終わっている。シナプスが記憶を再帰しているからなのだ。