ただある状態
日常の生活には、さまざまな問題があり。身体の隅々までその習慣が染み付いている。だから瞑想の力により、自己から解かれ無我となる。
日常の生活には、さまざまな問題があり。身体の隅々までその習慣が染み付いている。だから瞑想の力により、自己から解かれ無我となる。
その痛み、何度来ようが何度でも解いてやる。また来たか、ならまた解いてやる。こうして何度でも何回でも痛みの輪廻を解く。
痛みがこれほど思考を鈍らせるとは思わなかった。痛みとは、誰もが抱える問題である。それは誰も代わってあげられない。この本質を考える。
あーこれは最悪だ。口からため息と共に思考が持ち上がる。これは現実であろうが、最悪の根拠がない。そうこれはそう大したことではないのだ。
隠れていた過去の記憶を感覚により暴露させて生命の自然によって、分解・熟成させること。これをエクスポージャーという。これについて考える。
感情という感覚を頭が解釈して、怒り喜びなどの反応が生じる。これがわたしである。この感覚をどれだけ正確に理解できているであろうか?
どれだけ嫌なことを忘れようとしても忘れられない。どれだけ嫌ったとしても避けられない。それが思考の罠である。
わたしにとって必要なこと。正しい認知、理解、情報。さまざまに環境に応じた必要なものがある。資金を投資することで何を得ているのか?
脳は不安定さを嫌う。だから良い悪いを決めたがる。そうして相手のことが欠落して口論となるのである。「なんでこれが理解できないのだ」と
この世の出来事は無秩序である。これを脳があたかも秩序立っているように解釈しているだけである。それは、脳は理解できないことを嫌うからだ。