感覚の澄み切った水への変容

レジリエンス 必要な経験

どのような状況においても柔軟に回復できる力 レジリエンス

身体に不安一杯で心が落ち着かない時であっても それから目を背けず

ただじっと観察する それが感覚を探る瞑想

するとそこに変化が生まれる 回復力が生まれていることに気づく

どんなにそれが過酷な状況にあっても 回復力は必ず訪れる

指をカッターで切っても 知らず知らずのうちに怪我が治っているように

生命とはそいゆうもの だからこれは真実である

そうして 頭で諦めなければ 自ずと立ち上がってくるもの それが生命の本質

これを認め 己のするべきことを 見定める

それは

どんな状況が訪れようとも びくともしない 器を確立する

器とは 受け止める 寛容性

器には こころのしなやかさ 柔軟性に レジリエントに繋がる

レジリエントとは 何度へし折ろうとも 何度も立ち上がる 決して折れない竹のように

それが 自分にとっての一番大切な経験 必要な経験である

流れている水は腐らない

瞑想感覚は 身体の隅々まで隈なく感覚を探るもの

恐れと苦しみは 無知から生まれる

無知がなくなれば 苦しみから解かれる

無知とは何か 潜在的に抱えている痛みや感覚である

過去に負った傷から 身体が覚えている記憶もある

その痛みは過去の記憶を蘇えらせる 表面意識では解らなくとも

潜在意識つまり無意識は 常に体の感覚を感じ続けている

意識せずに頭を掻くのも 無意識がそうさせているのである

感覚は 身体的な苦しみを 常に抱えているのである

ただ表面意識には現れない だから意識はそれを知らない

それを無知というのである

だから 感覚が隈なくわかれば 無関心であった感覚 が顕在化される

これのような感覚状態を よどんだ水から澄み切った水への変化といえよう

流れている水は腐らない よどむから水は腐り こころが苦しみを澄み切った水が抱える

苦しみから解かれるとは 澄み切った水の流れを身体のうちに感じることである

それを感じるために どうする 瞑想する

瞑想をすればはじめから そうなるのか

これまでの経験によるが 誰もすぐには無理だろう 何事にも熟成が必要だ

ワインが今日絞って明日できるわけではないように 瞑想にも時間が必要だ

ならば 瞑想のビギナーとオールドで何が違うのか

それは 脳の鍛えた結果 器に現れる

それは 瞑想の質と回数・時間に相関するもの

ペンフィールドの脳内マップでいう 感覚地図を口と手以外にそれだけ繊細に全身を感覚観察できるようになったのかである

ホムンクルスの抱く感覚身体が 実態感覚に同調させることが目標となろう

そうして瞑想を継続すれば こうして脳が鍛えられるのである

鍛えた結果どうなるのか 瞑想で感覚を探れば 感覚が反応を即座に返すようになる

感覚が解る 無知がなくなり 苦しみが失われ こうして落ち着くのである

そうすることが 可能となるのである

そうして毎日 経験を重ねると

よどみなく 澄み切って流れる水がわかるようにばる

サラサラとただサラサラと これがバンガといえよう

どこにも澱みなく流れている水 それをただ観察している わたし

これが瞑想である