人が選択する意味とは
変革による選択肢は 多い方がいい
それは限られた現実と有限の時間で
現実に実行できることは少ないから
可能な限り 多くの選択肢の中から
最適な適応思考選びが 大切なのだ
自由選択〜神〜自ずから
己れの選んだ結論。
それは,自由選択の結果だと言えるのか?
それとも,神がそうさせたのであろうか?
わたしにはわからない。
神とは,この曖昧さを理解させる手段である。
人は,世界のすべてを理解することは難しい。
だから,理解できないことは,
神がそうさせたと理解させるのであろう。
それも自ずから,そうなのであろう。
「神がそうさせた」「神がそうさせるだろう」
という期待でもって,自由選択は働く,
神と自ずからは,共存する。
自由選択の根底にある説明できない原因と結果を結びつけるもの,
それが神である。
これは真理かも知れない。
真理の門に立たされたときに,
自己とはあまりにか弱く,自信なげに神の存在にすがる。
だから,神が何処かで見ている,神に導かれていると信じ,
うちの声に耳を傾ける。
それがこれまでの自己である。
その選択が,正しいかどうかは別にして。
世界人類にとって変革を促す そのため目的のために働く
結論をすぐに出さない選択
難解で結論が出ないこと,出せないこと,
これは苦しみである。
人は選択をすることで,苦しみから解かれようとする。
自分を早く楽にしたい。
その一心で,苦渋の選択をする。
選択は正しければそれはいいが,
正しくなかったならば,再び苦しみだす。
選択とは,苦しみからの解放の手段であり,苦しみの原因である。
人は,イエスかノーか判断できない曖昧な状況を嫌う。
それはなぜか?
それは曖昧な状況がアタマを使うからだ。
思考エネルギーのロス,思考を巡らせるには最大のエネルギーが必要だ。
(この思考のエネルギーは感情から生まれる)
この状況は,生命として嫌悪を生む。
だからこれを回避するため,人はいっこくも早く選択を自己に迫る。
でもこれは,真に智慧ある選択を導く方法であったのか?
わたしの答えは否である。
結論をすぐに出さないことが,選択の多様性を促す上で最も大切であるからである。
この選択を急がない姿勢こそが智慧ある対応であるが,
思考のエネルギーロス回避とは真逆な選択となる。
この選択を意図的に選んでこその智慧である。
ロスは悪ではない。
このことを理解し世界を考える選択をする。
だたし,無意味なロス<遺漏>はいけない。
でも意図した意識的なロスは結構。
思考の多様性による思考はロスではない。
この思考の多様性から選択される答え,そこに大きな可能性を生む。
答えは簡単ではない。
答えに近道もない。
答えをすぐに出してわかったつもりにもならない。
答えに悩んで苦しんでこその進化である。