散歩の楽しさに幸せを感じる豊かさ
散歩を楽しむ豊かさ
散歩には行き先を求めない
散歩はただ時間を楽しむ
道草を楽しむことが目的なのだから
道草をしながら豊かな時間を過ごすことが目的なのだから
これが散歩の醍醐味
人生も散歩にように よすがをすごく
これが人生の豊かな楽しみかたのひとつである
人生に望むこと〜知識と経験
私たちが望むことは
努力による結果ではなく
努力のよる経験の機会である
結果は成功や失敗といった自分にとっての結論をもたらすが
努力の過程で得られた経験には失うものはなく得られるものだけである
つまり経験に無駄はないのだ
経験とは記憶と知識の集合知である
この経験がたとえ失敗に終わったと感じても それを何度も継続し続けている限り それは経験における過程であり それがその後の経験として人生の厚みとなる
だから 経験をすればするほどに積み重ねは減らない 経験は厚みを重ねられるしかない
失敗も成功も思考の目的(ゴール)が結果となって
結果にのみに注意を向けると失望や有頂天に陥りがちになる
その感情による判断にこそ 渇望や嫌悪をもたらす原因となる
その判断によるものが 自己によるコアビリーブとスキーマである
その自己による判断にこだわる必要はない ただ今あることを観察し経験とせよ
知識と経験そのものにこそ 貴重な時間と労力を注ぐ必要がある
そうして充実させる努力にこそが人生においては必要であり
それが人生に望むことである
☆脳の働きによる文献
分離脳の研究から得られた知見で重要なことは、右脳の意識内容がいわば「無意識的意識」あるいは「潜在的意識」であり、顕在化することはないということである。そして右脳の働きの結果については、左脳はその真の原因を知ることができず。それを推測し、いわば強引にこの世の中を整合的に解釈しようとしているということである。「Gazzaniga and LeDoux,1978.改変」
私たちの内側と外側で起きていることは、瞬間瞬間、そのすごい速さで進んでいきます。それらに無自覚に野放し状態にいると、好きか嫌いかそのどちらかでもないかに分かれていき、いわゆる煩悩のプロセスに進行していきます。この煩悩、苦しみの起源が「生まれる」ということと同義に捉えられている。「別冊サンガ(死と輪廻)開かれた死によって生きる豊かさをと出会うp271」(松浦雅代 2018)