固定観念が悲劇を生む〜ステレオタイプ

固定観念と瞑想

瞑想はビギナーズマインド 常に新鮮な過去ではない今生まれている感覚を ありのままに 飽きずに観る手法

でも これが非常に難しい

いつものこうだろうという 固定観念という決めつけが 邪魔をするからだ

でもこの決めつけが脳が考えずに済むから身体的には正しい

でも これをわたしは決して認めない

頭を疲弊させろ楽はさせるな

とことん追い込んだ先に 何らかの変化が生まれるからだ

そしてそれが知恵となるからだ

だから瞑想では固定観念、決めつけ、レッテル貼りの:ステレオタイプを否定する

全ては今の生の身に起きていること これをめいっぱい感じる

これが脳の成長 敷いては自己の成長に大切であったのだ

一方的視点にならない

人がいれば 人の数だけある視点

ここに俯瞰した視点が大切である

自己の視点は当然ある訳だが

固定概念や思い込みが視点を固定化する

視点を固定化した瞬間に 脳は

相手の枠にはめて 勝手にそうだろうと決めつけにかかる

それは見る側と見られる側に ギャップを作る

それを押し付けることが不幸につながる

なぜか?

それは相手を極度に一般化し 個性を無視するからだ

ひとは人の数だけ 視点があり 考えがある

これを無視して 自分の考えだけ が正しいと考えてしまうと

当然にして 相手との関係性が崩壊する

これがいさかいを生み それが暴力や戦いにつながる

(だから ロシア人にも個性がある すべてのロシア人を否定するのは不幸につながる

ロシア人をカテゴリ化するな)

個性に向き合い 相手を理解することが解決につながる

でも個性が許せないこともある

これも現実である

これが現実であるが 少なくとも自分は相手を一般化しない努力は必要だ

これが内なる幸せにつながることを 理解せよ

そうして 自ら不幸に自ら入ることなかれ

相手を理解しながら 多面的に判断する

これこそが 正しく世界を俯瞰するポイントとなろう

一方的視点ではなく 多面的にみることが大切である