諦めのセオリー

諦めのセオリー

自分が自分に諦めてしまうとは

努力が無意味と思うこと

自分が自分の可能性がないと思うこと

自分の未来に価値を見出せなること

それは 自分を諦めたときである

これは 自分が望んだ未来か いや違う

なら叶える価値が ここにあるはずだ

そう無意識に問いかけろ

失敗の経験

瞑想に時間を与えなかったこの一週間でどうなったのか

発想は薄れ 考えも深まらず 新たなものも生まれず

どうだろう どうなったのだろう

こうして過ごした休養の一週間

これが私にとって 必要な時間であったのだろうか

休む=休養 は必要なのだろうか

でも 休む=発想の転換 としては効果がなかった

むしろ放電してしまったのだろう

これから 発想を生む瞑想のためにも

毎日継続することが呼水となり 発想が発想を生むサイクルを作る

そのために 車輪のペダルを踏むことを休んではいけない

それが結論だ