この上なく難しい,正しい判断とは

この上なく難しい,正しい判断とは

瞑想の本当の素晴らしさは どこにある

意識を集中できるから 確かにそうでしょう

思考がクリアになるから 確かにそうでしょう

でも 本当の素晴らしさは

無用と思う苦しみですら 成長のために使うからだと思う


疲れの罪悪

わたしの経験では,疲れと痛みは瞑想を曇らせる。

瞑想を曇らすとは,疲労で感覚への集中が曇ること。

曇るとは,感覚がクリアにない状態。

部分感覚を探っても感覚の何の反応もつかめない。

感覚が見当たらない。

こんな状況である。

すると,感覚がぼんやりする。眠くなる。

つまりは,感覚を見失っている状態になる。

これが曇った状態である。

痛みは,対応で軽減できることができるが,

疲れはそうもいかない。

眠る・休むしかない。

どんなに経験を積んでも,これ以外の方法でしか解決できない。

疲れはさまざまに悪影響を及ぼす。

ミスや他者への暴力,自己嫌悪が起こる。

これが疲れの罪悪である。

つまりは,疲れは速やかに解消した方がいい。

これに尽きる。

だから,今は眠ろう。。。

正しい判断とは

自分のことやったことを,

自分で否定することができずに過去を後悔する。

これ機会損失とサンクコストの関係である。

機会損失は,これをやっておけばよかったと思い。

サンクコストは,ここまでやったのだからこれは正しいと思う。

例え間違っていると判っても後戻りできない。

この過去の思考に縛られて,正しい判断を見逃す。

だから,過去に縛られない判断をする必要がある。

それは,常に未来は変化しているからだ。

今,コロナ禍の一年前の判断が今も正しいとは言い難い。

では,1週間,1時間,1分,1秒前ですら刻々と状況は変化し,正しい選択は変容する。

だから,常に正しい現状理解において,判断することが重要なのだ。

正しい選択とは,今を常に正確に現状を観察することが必要となる。

今を見失った曇った思考とは反対に,クリアな思考が必要となる。

利益そこに生まれる。

だから,智慧ある態度とは,過去にはない。

智慧とは,今この現実にあるのだから。