持続的な幸せとは〜セロトニン的幸せ

持続的な幸せとは

大丈夫 身体の内には 誰にも必ず

コンフォータブルな 心地よい部分がある

この感覚に気づければ それが 今ここにある幸せである

今はただそれだけでいい

座ることでいつも集中できるとは限らない。

座って目をつむっているだけで、不安や落ち着いていられないときがある。

かと言って、何もせずに極度に集中できるともある。

これら両方とも自分の姿である。

不安で座っていられなくてもいい。

ただできないから悪い、できたからいいとは言えないことは確か。

現状を否定も肯定もせずただありのまま、客観的に観察する。

今はただそれだけでいい。

ただ最後にひとつ、仕事が達成感を感じ満足している時ほどに、なぜかじっとしていられない、集中できないことが多いことがわかってきた。これは事実。

今ここにある安心

>過去の記憶による後悔

>未来への妄想による不安

>このふたつから解かれた現在 今ここにある安心

安心はセロトニンを生む。

なぜ安心がセロトニンを生むのかは解らない。

でも、確かに安全が高まれば、感覚に注意を集めることができる。

感覚に注意が集められれば、身体の温かさ、感覚の底にじんわりと流れる生命の流れが、お腹の底から感じられた時、安心とともに幸せを感じる。

セロトニンは、脳でシナプス神経伝達物質に使われている。これにより、ひとは脳細胞(シナプス)どうしの間隙に情報伝達し、思考することができる。

このセロトニンは脳内で作られる、しかしセロトニンの最大の生産場所は腸(消化粘膜)である。このセロトニンはトリプトファンの効果により脳内に入ることができる。

また、セロトニンは、うつ病の治療にも使われている。

この幸せを感じたとき、セロトニンが生まれたシグナルかも知れない。

これにより、多幸感という副産物がわたしの内に生まれる。

瞑想と安心

安心とは、過去と未来による思考には存在しない。

今ここに感覚に注意を向けられてこそ、安心は生まれる。

この今ここに意識を戻すことが、安心には必要だ。

こころと身体は、安心によるセロトニンにより脳も、生命体である身体も調和がなされる。

この安心を得られる選択の中で、わたしが最も効果があると思うものが瞑想である。

コンフォータブル瞑想

心地よさは、瞑想の手助けになる。

この心地よさに溺れてしまうのかも、と心配になる。

でも、苛立ちや不安を感じるより、心地よさを感じつつ瞑想をすると、

自然と瞑想は深い感覚を探れることを感じる。

これは単なる心地よさではなく、瞑想による恩恵なのだろう。

すでにこの身体には、必要なものはすでに備わっている。

これまでは、ただそれに気づいていないだけであったのかも。

コンフォータブルな瞑想の存在に。

今ここにおけるセロトニン

過去の後悔と未来への不安。

こころの波の表面に映る、さまざまな思考。

過去や未来ではなく、今のこの感覚によるマインドフルネス瞑想で、

今この内にある感覚を探ると、そこに安心がある。

カラダの各所の繊細な感覚の底に、スッとした感覚が漂っていることに気づく。

これがセロトニンによる感覚であった。

過去や未来は、後悔と不安からコルチゾールを生む。

ただ現在の感覚に戻るだけで、もれなくセロトニンの恩恵を得られるとしたら、

過去や未来に日々振り回されている思考は、本来持っているセロトニン的身体の安心による幸せを見失わせる。

幸せとは単純に今ここある。

過去や未来にはない。

この今ここに何度でも立ち戻り、ただ感覚を探るだけ、それだけでセロトニンによる幸せが手に入る。

この身体の恩恵に感謝し、この仕組みを教えてくれた世界の人々に、感謝すればオキシトシンによる幸せが訪れる。

ドーパミン的幸せの形とは異なり、セロトニンとオキシトシンによる幸せは色あせない。そして何度でも継続して訪れる。

これぞ求める苦難からの解脱である。

これが可能なのがマインドフルネス瞑想である。

「精神科医が見つけた3つの幸福 最新化学から最高の人生をつくる方法」(樺沢紫苑 2021)より