わたしの経験と誰かが発見した誰かの知識

わたしの経験と誰かが発見した誰かの知識

滝壺の水は濁らない という

これは事実なのだろう この事実を

そうかもしれないが たぶんその内忘れてしまうだろう

でも 我が家にある 熱帯魚の水槽にエアーリングすると水は腐らない

このことは 決して忘れない

この差はなんだろう

滝壺の‥ 誰かが発見した 経験した知識は 知ることはできても

それは所詮 誰かの知識

でも 熱帯魚の…は自分の経験から得た知恵

この違いは脳細胞のシナプス結合 つまりイマジナリーだけではなく

リアルな体細胞筋肉に埋め込まれた物理的な記憶である

このリアルな変化は 死んでも別の物質に置き換わるけど 無くなることはない

つまり自分の体に刻み込まれた記憶は 身が滅んでも永久に残り続けるということ

自分の記憶が 誰かに影響を与えても与えなくとも 世界のどこかに存在はする

自己とはそんなものなのだろう

誰のものでもない 思考のイマジナリーなわたしと 物質のリアルわたしが

わたしをわたしたらしめている 存在が別のなにかになる

経験とはそれゆえ大切なのだ