妄想のドラマから 生命の安らぎを知る

苦しみは妄想から 生まれ 消え去る

安らぎは感覚から 生まれ 消え去る

それは 身体は常に様々に変化しているから

故に苦しみも安らぎも 常に変化し

新たに生み出さなければ 最後には消え去る運命のものである

苦しみを起こしているのは

扁桃体と前頭葉による過去のエピソード記憶による壮大な妄想 それがドラマである

決して映画にはならない わたしの内だけ存在するドラマ

他人には理解されないこのドラマは 最大限に容赦なく自分のウィークポイントをつく

それも巧妙に それも何度も何度も反芻する

このドラマが始まると 思わず避けたくなるほどの 醜い展開を繰り広げる

時には 声を出してしまうかもしれない 顔を覆ってしまうかもしれない

腹の底に 暑い怒り痺れる悲しみが この身体に生まれ居座る

でも他者には決して理解されない

それ故 あっと声を出したとしても 近くの相手に何したのと聞かれても

わたしは 何でもないよと答える

そうだろう 自分でも理解されない 科学的に証明できない ただそうとしか答えられない

わたしにしか見えない存在 ドラマはそこにある

このドラマの構成は 前頭葉の作る世界観とそれに伴う扁桃体の信憑性である

脳の中では 現実世界の起きることとと何ら変わらない

だから脳は実際に今起きていることと 作られたドラマの見分けがつかない

この脳の働きは 人類が生まれてからこれまでの 人類共通の過去の経験によるものである

人類は過去の出来事を強く記憶させ それに伴う経験を その後の生活に反映することにより生き延びる確率を高めることができたのだ

もし 記憶を経験に活かせないのであれば 何度も同じ失敗を繰り返す

そうだとすれば それは動物のようになるであろう

だから 人間はどの動物より生物的繁栄が遂げられたのだ

これは 良し悪しの問題ではないが 人間がこの地球において これだけ多くの生命の頂点となり得たのは これが最大の理由であり 脳の作り出すドラマ無くして 今の人類が存在しえなかったのは確実であろう

ならば この脳の機能を ドラマの反芻による疲弊だけに使うことは勿体無い

この地球に人類だけが現在唯一もつ このドラマというアイテムを最大限に活かしたいものだ

だが 今は大半の人は このドラマは内に攻撃性を向ける 非常に厄介な存在でしかない

でも このドラマには人類繁栄の意味がある

それを理解すれば単に「恐れる存在ではない」ことが理解される

ドラマから生命の安らぎを知る

自己を意識すればするほどに ドラマは展開され強化(信憑性が高まる)される

自己認識とは 「わたしがどうしてこうなった」 「わたしがこう言ったのに理解されなかった」という 自己承認欲求が大きく関わる

これによる 自己肯定 自己否定が交互に降り混じった物である

ならば この自己を肯定や否定している物とは何か

脳の嫌悪をつかさどる部分 扁桃体である

扁桃体は一度暴れ出すと手をつけられない

ならばこれをどうする

エネルギーをもやし尽くせばいい ドラマの材料である燃料を絶って

燃料とは過去の記憶 それから生まれる妄想である

でも過去の記憶は消えない されど妄想は止めることができる

妄想を止める方法とは 妄想から注意を外すことである

これが 感覚や呼吸を使ってドラマの展開を感覚と呼吸に向ける

これは 今この身体に起きている現実をただ認識すること

ただこれだけ これが真実であるにもかかわらず 何度もドラマに戻される

これまでも これからも何度も何度もこのドラマに引き戻されていることことだろう

でも それが起きていることに気づき 優しく呼吸と感覚に戻す

何度も 何度も根気強く これが川のようなたゆまない努力であり これを嫌がらずに続けるこれが山のような忍耐である

何度挫折してもいい 心が折れ続けてもいい ただそれを続け続け 立ち直る

やがて 最後には反応するエネルギーを失われ 否応なく 妄想が止み 呼吸と感覚がただそこにある状態になる

すると そこに安らぎが生まれる

人は安らぎを求めている でも安らぎの場所がわかっていない

安らぎの場所は 体の中にある

「一とは原点、一とはじぶん」(相田みつを)

この究極の安らぎの場所とは 呼吸をして生きていることを認識している自分である

これは どの人間どの生物にも共通している 究極の安らぎの場所である

安らぎとは 誰もがもつ真実である

これは 自己が成立しない世界であり 生命(一)はただ生命(全)によって生かされていること これが真の他力本願である

生きることは 自力ではなし得ない

全である生命体である人体が 呼吸から得られた酸素を 細胞ひとつひとつに栄養を酸素を運び そこからミドコンドリアがエネルギーをつくりだし 生命活動を営める

これに自己は存在しない

このうえに 本能と言える その上で食べること寝ること生活を営めることものが 将来をイメージする これを達成させるための努力を自己が求める

ここに自己は存在する

安らぎは今ここにあり 嫌悪は自己の作る未来や過去からくるドラマからやってくるのだ

人間として生きるとは この両輪がうまく回ることである

精一杯泥臭く生き 究極の安らぎにより癒される

ハスは 泥臭い根元の水中に立ちながらも ハスの花のように安らかに咲き生きる これが人の求める生き方であろう

そのためにも 安らぎを得るには生命の真理を理解し 呼吸と感覚により生きていること これを実感することから始まる

この理解無くして 真の安らぎは訪れない