「歯磨き」から、この内に生まれるエコサイクル

鏡の前で歯磨きをしていると 3つの「わたし」が立ち上がる

鏡の向こうに写っている「わたし」 ハブラシが歯と歯茎に当たっていることを感覚で持って理解している「わたし」 歯をどうやってキレイにしようかと思い描いている「わたし」

どれかひとつがわたしではなく いずれのわたしも紛れもない「わたし」

わたしという存在を認知するきっかけを歯磨きで得られる。

鏡の向こうにいるわたしは、なぜかわたし自身ではないような存在であるかを抱く。今歯を磨いてるようで、次の瞬間には違うことを考えてしまう存在があり、ハブラシが当たっている自分の感覚がどこか別の存在であるように感じるわたしもそこにいる。こうやって歯を磨こうとしているわたしもいる。

どうやらわたしには、内なる次の三つの存在をあるようだ。

(認知)鏡の向こうに立っているわたし

(知覚)歯にハブラシが当たる感覚を感じてるわたし

(行動)歯をこうして磨こうとしているわたし

この認知するわたしには、生命として思考が生まれている以上何らかのエネルギーが存在している。脳の活動には視覚などの五感には、思考を想起させるために必要な活動エネルギーを生むからだ。(感情の持つエネルギーもそう)

この想起された感覚からは、身体に起きている神経感覚を脳にリターンバックする。リターンバックされた情報を基に脳が感覚を理解し、行動される。

これらのエネルギー活動には、次のような生態系(エコサイクル)の循環がある。

(生産)思考のあわがつぎつぎと湧き上がる

(消費)意識をボディ感覚に集中してアンカー、疲れる、エネルギー

(分解)身体の感覚と思考の理解により、智慧が生まれる

このエネルギー循環からくるエコサイクルは、(生産→消費→分解)の繰り返しからスパイラルループを作る。

この生まれるエネルギーを滞らせずに理解に循環をよくすれば、エネルギーは昇華され、流れの良い状態(スッカ)となり、苦しみから解かれる。

一方で滞ったエネルギーは身体の中に居座れば、流れの悪い状態(ドゥッカ)となり、苦しみを生み続ける。

このドゥッカによる苦しみには、身体の中に燃え残った記憶による思考エネルギーが身体の感覚として、深層心理に刻みつけられている。

瞑想という方法この気づいていない深層心理の感覚に、気づくもっとシンプルな方法です。しかも誰にでもできて、お金の手段も必要のない方法である。

これにより、感情による油を注がずに、燃え残った思考エネルギーをすべて燃え尽くし、一度リセットさせる。燃え残り、おきがあってはいけない。瞑想は丁寧に、慎重に、じっくりと落ち着いて実践すればいい。

やがて、燃え残った感情を瞑想を使って根絶やしにする。お風呂に入った後にスッキリするように、瞑想した後は、何故かスッキリするのは思考エネルギーが解放れたためかもしれない。

この身体に残った感情を、感覚を丁寧に、わかったフリをせずに、平静な心で、じっくりと味わう。するといつの間にか残された感情が燃え尽きこころが軽くなる。

瞑想は辛い修行ではなく、苦しみから解かれる方法です。