わたしという存在〜縁(よすが)に生きる

わたしという存在〜縁(よすが)に生きる

解らないことで悩まない

解らないものはそうだと認めて

ムダに考え込まない

ムリして答えを出そうとするから

疲弊するのだ

他人との関係性において

わたしは わたしの言動や行動で

他人がどう感じているかを理解できない

だから 他人にどのような感情が生まれたとしても

他人の感情にまで わたしは責任は負えない

しかし こうも理解し得ない不自由さを知った上で

他人に理解を求める努力は必要である

人間である限り 当然であろう

わたしというフレーム

そもそも わたしという存在は

苦しみを感じたものにしか 回答を得られない

苦しみを感じないものにしか 答えが出せないのだ

悩んでいるのは何に苦しんでいるか 理解していないだけ

苦しみを理解する努力をすれば その解決方法は自ずと現れる

それがわたしというフレームの特性である

これが わたしを拠り所に生きるということ

希望も絶望も

今のわたしにとって 苦の要因であるからそれは毒である

だから 期待も諦めも持たず ただ淡々とやるべきことをする

それが仕事に対するわたしの 態度である

投資のフォーメーション

わたしはディレクター

銘柄は選手

選手の上手い下手でレギュラーを選ばない

個性を生かした選抜で

与えた信用で活躍させる

多少の失敗で選手を入れ替えるな

ディレクターは器は大きく選手を見守る

ただし情報には繊細に 正確なものを

これでもって 個性を持たせたチームとする

これが いいチーム

これが よいポートフォリオ である

良し悪し

株の成果の良し悪しはシンプルである

上がるか下がるかである

これは予想できない

できるのはただ 上がったらどうする

下がったどうする

対応をあらかじめ決めておくこと

つまりはルールを作ること

試合が始まってからルールを変更することなかれ

途中で変えるから試合がおかしくなるのだ

ただシンプルに ただ愚直に

バンド幅を持って 流れを見守ること

これがディレクターにできること