散歩の楽しさに幸せを感じる豊かさ
散歩を楽しむ豊かさ散歩には行き先を求めない。散歩はただ時間を楽しむ道草を楽しむことが目的なのだから。これが散歩の醍醐味である。
散歩を楽しむ豊かさ散歩には行き先を求めない。散歩はただ時間を楽しむ道草を楽しむことが目的なのだから。これが散歩の醍醐味である。
人は困らないと何もしない。だから困りごとで苦しみ生まれ、進化が生まれる。この困ったことが、進歩を促す最大の推移力となる。
その弱いグジュグジュとした痛みに耐えられず。常に予防線を張ろうと思考を巡らす。これが苦しみであり、ウィークポイントである。
意識とは無意識下で起きた感覚とイメージを追認識しているに違いない。意識は、無意識の後追いの意味づけ。意識とは無意識の影である。
思考で問題は解決することはできない。動きながら考える柔軟さが大切なのだ。今ここに、今生きるすべてを賭ける。これがわたしの無常である。
苦しみを克服するには、エクスポージャー法による系統的脱感作しかない。苦しみを暴露して、反芻される苦しみに慣れていく。ただそれを保持し、生命の力:回復力を頼りにただ待つだけ。
今呼吸をして座っている。でも思考に騙されている。過去の記憶に苦しみ。未来の悲観に絶望する。こうした思考は当然、自分が招いたこと。
思考の作る映像と視力の映像の違いは存在しない。バーチャルとリアルは脳の受け止め方は同じということ。きっかけは違えど同じ反応となる。
もっとこうしたらよかったと後悔するスキーマ。さまざまにスキーマが生まれる。スキーマとはこれまで自分を守ってきた思考であったのだ。
「知の欲求によるストレス」買ってでもしたいこれ、内的な欲求がもたらす自己が無意識下に持つ信念が折り出す知の欲求。これは人間が持つ本質の欲求。