
努力することの意義
自分の話せない英語は聞き取れない。つまりは自分が話すこと(真似る)ができないことは聞き取ることもできないことである。
自分の話せない英語は聞き取れない。つまりは自分が話すこと(真似る)ができないことは聞き取ることもできないことである。
日々の生活でわたしの目指す、頭の使い方に悩ますことがある。求める頭の良さとは何か?という単純なことにである。
今より過去の方が真摯に生きることを考えていたのではないか?そう想う近頃である。現在は情報過多となりすぎ生活が満たされた結果見失っている。
私たちは進化できたのか?いや大幅に退化しているのだ。過去の人類は何も考えずにただ生き、もっとましな人生を送っていると思ってしまうからだ。
この仕事この社会に変化を与えてきた。この頭だって何かに役立っているただ夜に眠れずに時間が過ぎ、自分を苦しめているだけの存在ではない。
内の苦しみに気づき、それを無視せず適切に理解して、適切に苦しむこれが苦しみを味わう。最善の策これ無くして苦しみは消化できない。
自虐を起こす己の本質を理解すると、ひとつ世界が広がる。己の理解している自分と、己ではコントロールできない自分この2つが存在している。
身体の内にある苦しみに目を向ける。肩の痛み、胸のソワソワ感など心地良さもあるだろうがでも大半が我慢できない苦しみあることが分かる。
滝壺の水は濁らないという。これは事実なのだろうがやがて忘れてしまうだろう。でも、わたしのことは決して忘れない。この違いが何か?
年齢を重ね、日常の努力がひどく億劫になってきた。その気持ちを忘れてはならない。折角なのでその対処方法を考えてみよう。