その痛み‥を感じるとは

その痛み

その痛み 何度来ようが何度でも解いてやる

また来たかならまた解いてやる

こうして何度でも何回でも痛みの輪廻を解く

苦しみに怯えて 悲しんでいた結果妄想により 原因も解らずにただ痛みと苦しみを肥大化させていた あの頃に戻らない

今はマッサージで 痛みの根源を断つ

すると妄想が止み意味ない痛みは去っていく

そこにはただ身体が存在している事実だけが残る

そうして思い込みでない 本当の身体と向き合う瞑想ができる

マッサージ瞑想

痛みを感じれば 繊細な感覚を見失う

そのためにも 痛みを排除する必要がある

痛みとは筋肉 感覚の硬直

つまりは 感覚の縛り目である

これを解きほぐすには マッサージがある

マッサージで硬くなった身体の筋肉と関節を柔らかくする

すると 柔らかくなった感覚が満たされ

見えなかった感覚を取り戻す

感覚のアップデート

すると 新たな感覚で 見過ごされていた繊細な感覚を探れる

これが感覚のバージョンアップである

そのためにもマッサージは欠かせない

自己を外した無我

瞑想で目指すのは 自己を外した無我

無我であれば苦しむことはない 解脱に至る

無我は例えるなら アリの巣の個々のアリは自己を持っているが集団に見える

一見無秩序に個々に動いているありが 巣を作り子孫の繁栄を持続させている大きな目的のもの活動している集団

集団はアリ以外にも ハチにも スタートレックに登場したボーグの存在に近い

ボーグは人の未来を予見させる ボーグ集合体に取り込まれてば個々の安心つながり ボーグ集合体から切り離されると不安に陥いる

この集団による安心と孤立での不安こそが ユングの集団的無意識に通ずる存在なのかも知れない

瞑想を進めると 自分ではない存在にきづく

古典仏教の瞑想の指導でも それに触れる

「自分とは何か 心臓でもなく 脳でもなく 個々の細胞 物資が作るシステムである だから 自己に執着することなかれ」と

自己とは 物質まで分解され理解しようとする てもそこに存在はしない

この物資まで還元された存在に何が存在するのか

そう 自己ではない存在である

自己から解かれた安心 それが究極の求めるものである

これはわたしではない でも生命は存在してこれまで脈々と存在続けてきた存在が生命がある

そう我々は 生命の本質で不滅であり決して 無くならない存在 大きな生命であったのだ

これは究極の安心である

自己が滅びようがなく これからもカタチを変え存在し続ける生命体

それが人間である