我が自己のうちに作る世界

主役はわたし 助演もわたし 演出 場面 セリフ すべてはわたしが決める

この中で何が正しい選択だと言えよう

この理解が欠けているからこそ苦しみが生まれているのだ

そもそもそが間違っている

この間違っている土台の上に立って判断している だから正しい選択ができなかっただけ

自己による良し悪しの正しいさとは 勝手な思い込みである

認知で理解されること これが閉鎖された世界で勝手に作り出された世界 ドラマが作る妄想であったのだ

わたしが描いた勝手なドラマ このドラマで判断するな

自己とは思考の連続性

過去は今日に繋がり 今日は明日も続く

こう過去にこうあったと思い 明日もこのまま生きているだろうと勝手に思っている

これは人間にだけあるもの 自己の連続性である

ちなみに 自己も人間にだけ備わったものである

ならば この連続性が過去の自己を責め これからくるだろう将来に悲観する

これまで人類が こうして生き延びてきたのだから 無駄ではなく有益であったのだろう

しかし今は これが苦しみの原因である

この連続性による自己が明日も存在している だから苦しいのだ

明日が来ないとなぜ思えないのか

それは平和や安定をこの先に訪れてほしい 懇願する背景と同じである

安心は未来の生命の安全を保証する 可能性が上がる

だから 不安は片っ端から削除しないと 不安定さ つまりは不安要素が払拭できない

自己とはこのせめぎ合いで生きている

ならば不安と安心のある自己の継続性において どう理解する必要があるのか

それはただ現在を認めることである

過去もあった 過去を悔やむ ことだろう

未来も訪れる 悲観的に未来を思い描く ことだろう

これすべて脳の描き出す 過去からの経験によるもの

それは 教育や育児によるものだろう それらは易々と変えられない

ならば生まれてこの方 づ〜っと継続してきたと思っている自己 この自己の癖を何とする

すべてその癖を理解する そして手放す それも何度も何度も

自己が立ち上がり 自己の世界観を持ったその時からの自己は手強い

でも 映画の世界にあって 今のあるものに飽きずに 丹念に 感覚に取り戻す 映画を見ていることに気づき 今に取り戻す

これは 習慣を変えるということである

でも 習慣は簡単に変えられない

でも習慣が 習慣であると理解すれば変容が生まれる

やがて 少しづつ 映画から戻る時間が短くなる

短くなっていく やがて映画をみてすぐに戻ることができるようになる

唯一の真実 感覚の存在に気づくため

それは揺るぎない真実 この気づきことが 究極の安心つながる

苦しみは自己 我が創る

我が良し悪しを勝手に判断して こうであると正義の主張を始める

これが苦しみである

これは果て正しいのか

この判断は大抵間違っている

状況の認識は 時間の変化により変わる

そもそも認識している我の判断そのものが一番怪しい

それは 自己の断片的に得られた感覚を基に 脳が補完し創り上げられたものだから

それを 自己により過度に反応して 感情的になってやしないか

もし そうだとしたらこの根拠の怪しい 良し悪しの判断は危険である

ならば いっそやめてしまおう

すれば感情は過度の反応せず 苦しむ必要がないのだから

ただそこにある

だから 最低限 今最適と思われる選択を 感情を挟まず選ぶ

それが できれば苦しみのほとんどはない

どうも間違いの多い我を過信するな という認識をもて

認識とはそもそもが間違っている前提を理解する

これこそが真実である