自己というもの

思考の荒波から

調和と平静のよりどころに

呼吸の小舟でこぎ出す

ただただ 平静の我が身のうちの世界に

自己というもの

人は生まれ死んでいく

誰にでも当たり前に起きる 当然の真理

生まれるとは 受精して 分裂し 母体から切り離された瞬間に境目生じ 個体が生まれる

死ぬとは 細胞の境目が 保持できずに崩壊した結果 自己と他者の境界がなくなり 平準化均一化して 世界と一体に戻る

エヴァンゲリオンでは ATフィールドという境界が出てくる 自己と他者の境目として

境目ができること 個体が生まれるということ 結果生じるのが自己である

境目が無くなること つまり これが死である

境界とは 自己の外と内を分けるものである

この境目には 肉体的なもの 精神的なもの 二つある

肉体的なものとは 皮膚を境にした内と外

精神的なものとは 思考を元にした内省と客観である

これが生まれたときから 苦しみが生まれる

自己と他者を認識した瞬間に 苦しみが生まれる

でも 自己と他者との区別のない平準化・均一化となれば 苦しみから解かれる

区別のない状況 つまり境目を失うこと それは死である

境目を失うとはどうゆうことか

ゾウリムシの死(YouTube、単細胞生物の最後が儚い‥)を見ればわかる

死とは 物質的なものでありながらも 非物質的なものも含んでの 無境界である

境界が崩壊する瞬間がこのゾウリムシの死ではよくわかる

これは至ってシンプルである

境界の失ったものには もう体も思考ももない ただの物質に戻る 還元されるだけだ

自己とは 境界が生まれた単なる結果に過ぎない

そこに意味など みじんもない

人間とは ただ境目生命の袋に閉じ込めたれた細胞の集合体

この袋に閉じ込められた瞬間に生まれ 袋が弾けた瞬間に死ぬ

ただ それを繰り返す 生態系の循環 身体のエコシステムなのである

人体つまり細胞の集合体である生態系の循環

この生態系によって生まれるもの

これが自己の心理である

蜘蛛の死から学ぶもの

今蜘蛛が目の前で死んでる

10月にもなれば当然であろう

冬を越すことができないのだ

でも翌年には子孫が生まれ また蜘蛛が生まれ死んでいく

これに意味があると言えるであろうか

ここに人は意味を求める

何故生きているのか と悩み 死は自分には訪れないと必死で願う

それは そう考えている自分の存在を認識しているからだ

人は自己を認識する

だから その自己によって苦しむ

蜘蛛は苦しみを知らず 生まれ死んでいく

ただただ それだけだ だから目の前にある蜘蛛の死骸に意味はない

それに他者にどのような影響を与えていたとしても

人も同じ 人の価値がどれだけ貴重であっても それに意味はない

意味を創造しているのは 唯一自分のうち自己にのみである

だから自己の苦も楽も他人にとって意味はない

自己とは この苦楽を単に味わうべき器である