意識は前に、行動は現実に任せる〜生きかた

瞑想の状態

瞑想の状態では 息はゆっくりと小さくなり

身体は眠ってる状態となる

でも思考は明瞭に回っている状態である

これが瞑想による三昧なのかなぁ

足元の出来事を追うことなかれ

文書を口に出して読んでいるとき、文字に視線を合わせると必ず遅れる。

わたしの体では、読みながら文字に注意を合わせようとすると処理が待ち合わないのだ。

だから、文字を読むときは意図的に先の文字に視線を進める。

すると遅れずに発音できる。

これは、不思議なようで不思議ではない。

日常の生活でも、困難でさあざまに嫌なことが起きる。

こんなときでも、立ち止まっても足元を見て続けてないけない。

足元を見ているということは、次々に起きる現実、つまり過ぎ去った変えようのない過去の見ているからだ。

だから、どんな時でも視線を前に向けつつ、感覚的に現実に対応することが必要である。

意識は前に向けつつも、行動は生命本来の動きにより現実に任せる。

今を見ているとは、過去の出来事を追っているに過ぎない。

それは、今を見て理解するには、さまざまに起きるイベントを処理する時間がかかるからだ。

現実に生きるとは、感じたままに、するべきことを淡々とおこなうことである。

すると苦しみは起きない。

そうわたしは感じる。

思考と感覚の輪

瞑想をしていると

感覚に注意を向ける

やがて思考に注意が向く

それに気づく

感覚に注意が戻る

また思考が回り注意むく

行ったり来たり both to way

思考と感覚は瞑想において

内に共存する

感覚だけでいいのか 否

思考だけでいいのか 否

感覚と思考が共存しながらも どちらでもない どちらでもある

これが中道であると思う

思考が頭の中を占めても 感覚が残る

感覚が身体を占めても 思考が残る

極めてアナログな 思考と感覚のバランス

瞑想での身体との向き合い方

この状態でいると

いつしか 苦しみの輪から解かれている

これがわたしという存在である