頭の使い方とは〜脳は膨大なテストべット

頭の使い方とは〜脳は膨大なテストビット

すぐに答えを求めすぎた これまでは

答えに至る道筋を 如何に多く展開させるかが それが最善の道であった

この道は可能性 内なる可能性に懸け最適解に至る ただそれだけだ

如何に多く 思考に至る過程を歩むかが 最も大切な答えであったのだ

こころに如何に多く語らせるかが重要

こころに如何に多くを語らせるか。

感情でもいい,その感情が燃え尽きるまで,

瞑想のチカラを借りてそれが滅するまで,

ありとあらゆる,隅から隅まで全身に廻るこころの気持ちを話させる。

ただし,その語りに賛成も,反対も,否定も,肯定もせず,客観的に,燃料を焼べず,

如何に多く話させ,その中から適応思考を選ぶのだ。

それがなくてもいい。もしそれがなくとも,こころが凪ぐそれでいい。

こころが多くを語った後の静けさ,それが訪れるまで瞑想のチカラは,

それらすべてを包むことができる。

わたしはそれをただ信じて多くを探り続ける。

完全に燃え尽き,残り火がなくなるまでじっと探り続ける。

ここに,わたしの自由ある。

人類における擾乱

内には,常に膨大な変異アイデアが産まれ続けている。

いつだってだ。

これを苦しみというか。発想というかは本人次第であろう。

<ネガティブに考えればうつ病になり,ポジティブに考えれば秀才となりえるだろう>

この発想が,極端な変量となったとき発見が生まれる。

これを自然界では擾乱という。

台風,地震,火災,日照り,人間・・・自然にはこのように様々な擾乱がある。

擾乱が起きてこそ,世界は生まれ変われる。

<コロナ禍は人類にとっての擾乱であるかも知れない>

それまでの価値観と世界が払われてこそ,新しい変異な世界が生まれる。

これが人類にとっての発見である。

自分の頭の使い方

何かを生むときには,偶然が味方する。

そのためにも日頃禍から可能性を増やす努力が必要だ。

ばかみたいに,人のしなかったこと・考えなかったことを瞑想で内に起こす。

内とは壮大なテストべットであったのだ。

ただし,テストべットである以上容赦は必要ない。

ギリギリまで・極限まで能力の引き出せ。

それが,自己の変容という可能性となる。

それが,未来ヘの希望である。

ようやくこの身体の使い方と,

自分の頭の使い方がわかったのだ。ようやくだ。

<テストべットとは,新技術の実証試験に使用させるプラットフォーム,試験で使われる架台を意味する。Wikipediaより(≒クリティカルシンキング)>