人生のテーマ

人生のテーマ

苦しの中にあっても 健やかであり 幸せである

これが人生に目指すもの

苦しみだらけの世の中 如何に健やかに生きるか それが人生のテーマである

安住に変化は生まれない

日本のGDPは、20年前(2000年)から日本人一人当たりのGDPはほとんど増えていない。

世界の経済大国あるものと持て囃されている間に、起きたことは中国の経済の台頭である。日本が経済大国だと安住の地で、日々生活を謳歌している間に、経済レベルは低下した。

GDPは25位まで低下し、DXも出来ずに現状の変化の速さに対応できずに日本の企業は世界に取り残されている状況にある。

日々の生活の安定は確かに大切である。でも、そこには進化と発展をもたらさないのが現実である。寒風に晒されてこその進化である。

結果的に進化とは、これまで安住に無縁であった国々にこそ技術革新がもたらされた。

もし人類が生命に、進化をもたらす存在であるならば、安住は好ましくない環境と言える。

ならば、人類進化の目的は、猿の祖先が荒野の大地に降り立ったように、自ら安住の地を手放す存在であらねばならないのかもしれない。

よい行いを続けるか否か

世の中には、さまざまなよい行い(メソッド)がある。

わたしが知る限り、英語のカランメソッド、ヨーガメソッド、ファイナンシャルメソッド、そして瞑想メソッドである。これらメソッドは、継続することで人生を豊かになれるメソッドであり、これらはこの世にたくさん存在する。

でも人々はこれらを容易には選ばない。理由をつけては諦める、辞める、そして逃げる。

折角自分のためになることを理解し、継続することが必要であってもなおさらである。

人間の成長はゆっくりで日々観察することは難しい。でもよいメソッドは着実に成果はあるものである。ファイナンスの福利効果のような存在である。

この成長の複利による成長の実りを得るには、ただ愚直に、ただひたすら自分によいことを実践・継続するしかない。これには、苦しみがつきものである。成長とは、苦しみ無くしてブレイクアウトしない。これまでの自分の枠内側では決して成長できない。

この成長のためのメソッドを何かに理由をつけて逃げずに継続する。それが自己の成長への第一歩である。

もうひとりの自分と対峙する

自分にとっての最も強大な相手は、もうひとりの自分である。自分がこうしたらいいと答えを出すと、本当にそれでいいの?違うんじゃないの?と答えに対するハードルを上げてくる。

“これしかない“それに答えると、またハードルを上げてくる。やがて疲弊が起きてくる。アタマの中はパニック、額には脂汗・脇汗・緊張し、感覚が麻痺してくる。

ひとつは、もうひとりの相手に負ける手である。「負けて、参って、任せて待つ」この態度をとってもいい。

また、瞑想で感覚を探る方法もある。SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)で内に起きている感覚を探り現実を感じると、今起きていないことにパニクっていること、今はそれが存在するしていないこと知ることで安心することができる。

すると、もうひとりの自分がどこかに姿を隠す。

そうしてもうひとりの自分とこの自分は、対峙ではなく融和する。

この強烈なもうひとりの自分をこれまでどおりに敵にするか?それとも味方につけるか?どちらを選ぶかによってこれからの人生は大きく変わる。これを味方にすれば最強である。

瞑想で鍛えられることは胆力

日々の生活は苦しみだらけ、常に苦い炭酸水を含んでいるようである。このこころの深層部に溜まった苦しみを探る方法が瞑想である。

でも、どれだけこの瞑想を日々実践しても、嵐は決して無くならない。

どんな暴風がアタマの中で吹こうとも、ただそれをじっと観察し、動じないこころに重要なものそれが胆力である。

どれだけ、不安で、心細くて、心底逃げたい、すぐにやめたい、このような思考がアタマを占めても、決して諦めない。これが、胆力によって鍛えられる本来のわたしである。

この絶え間なく訪れる苦しみに、この胆力で向き合うときこそ、わたしが強靭なものに変容する時である。

これが胆力によって鍛えられ成長とする。これが本来のわたしの目指すものである。

この胆力でもって、これまでの生活に安住せずに、これまでになかった新たなフロンティアを目指す、これが我が人生のテーマである。