人の器とは

人の器とは

ブッダの頃は目の前の悪と苦しみを相手にしていればよかった

でも 今は違う ネットが世界に繋がった今 世界の悪と苦しみ全てを相手にする時代が始まった

されど 今も目の前にいる苦しみを抱いている人がいる この人を幸せにできるかどうか 真に人の器が試されるとき

お猪口の器

お猪口のように小さいわたしの器を知る瞬間がある。

わたしは、他人への優しさを持っているつもりでいた。

しかし、仕事などの疲れにより初めに失われるのは、いつも相手への優しさであり、残るのは怒りと苦しみである。

自分を見て、年齢を重ねねば器が大きくなるなんて決してないことは断言できる。いや、年々手放すことができない権利や強欲がより深くなった分だけ他人を許すことができなくなる。

すべて自分が一番と思って、他人に譲らない。

これがわたしの器である。この程度の器がわたしである。

お金によりゆらめく小さな信念

株価は、世界の人々の“感情“に連動するひとつの指標である。

なぜか?世界の多くの人が、株価が上がれば景気が良くなり、株価が下がれば景気が悪くなるのだから、世界の感情と相関関係にあるといっていい。ただし、空売りを除いては・・。

個人としては、株で儲かれば、世界の真実は手に入ったと有頂天になり、損をすれば、世界の全ての不幸を一手に背負う。

わたしが過去に被った多大な損失の場合は、それを認めずに持ち続けた結果、塩漬けか追証に迫られ、狼狽売りとなった。この際には、極度の緊張で吐き気をおぼえ、息も浅くなり、苦しみの只中にあったことを思い出す。

この世界は、経済が回って生産・消費する文明である。

その根底にあるお金、それとは切っても切れない関係であることは紛れもない事実である。

でも、お金に振り回されない生き方はできる。有頂天にならず、自分が世界の不幸は背負わず、損失を追っても苦難と同様に手放すことが肝要である。

株、投資信託、コモンディティ、イーサリアムなどの様々な投資は、収益性云々ではなく、現代社会に生きる我々にとって、苦しみを自ら手放す訓練であると心得る必要がる。

オープンハート 〜態度

人生の苦しみからはどんなことをしても逃れられないのなら「もういっそ全て受け入れてしまおう」そう諦めたときに、何かしら苦しみから解かれたように感じた。

オープンハート、これまで苦しみに怯えてビクビクしていた“わたし“ すべてを身に預ける。すべては、この身の内にあり、この苦しみはすべてはこの身で解決するしかないのだ。(誰かが変わってくれる訳ではない)ならば潔くこの苦を受け止め、“動じず・怯まず・諦めず“ただこの感覚を受け入れる態度こそが、わたしの結論である。

この身体は、これまで幾度の苦しみに無意識に向き合い解決してきたベテランである。この身体に身を預け“オープンハート“で、この智慧に任せる、自分に何も隠さずにすべてを曝け出し、この智慧に任せる。すれば、自ずと苦しみは解決される。

人の器とは

人の器は苦しみに耐えるときに、腹の底に湧き上がる得体のしれない感覚が現れる。この感覚をどんなときもぶん投げず、諦めずに付き合う。この胆力が人の器である。放り出したくなる衝動と葛藤した回数だけ、人の器は変容する。この態度こそが成長を促す態度である。

この耐え難い苦しみと向かうか逃げるかは、どっちだっていい。逃走ー闘争反応(Fight-or-flight response)には正義はない。

ただ、その時々の事象に過ぎないことを知る。

その時々に感じるままに受け入れる寛容さを持ち、苦しみの淵に至っても希望を失わない。この絶望の淵こそがパンドラの箱から生まれ出たものであろう。そして箱に残ったものは、真の希望である真実を理解する。