実用的な瞑想を目指す

実用的な瞑想を目指す

感覚を探る旅。それは思考が作る世界にあって、暴風にも飛ばされずに感覚を探りつづけるには感覚を頼りに、注意を緩めず引きすぎず、決して注意を切らさずに感覚を実感しながら旅をする。これが瞑想を使った、内なる感覚を探る旅である。

我が自己のうちに作る世界

我が自己のうちに作る世界

主役はわたし、助演もわたし、演出・場面・セリフすべてはわたしが決める。この中で何が正しい選択だと言えよう。この理解が欠けているからこそ、苦しみが生まれていたのだ。この間違っている土台の上で判断している。だから、正しい選択ができなかったのだ。自己による正しい選択とは何かついて考える。

妄想のドラマから 生命の安らぎを知る

妄想のドラマから 生命の安らぎを知る

苦しみは妄想から生まれ、消え去る。安らぎは感覚から生まれ、消え去る。それは身体は常に様々に変化しているから、故に苦しみも安らぎも常に変化している。これを新たに生み出さなければ、最後には消え去る運命のものである。苦しみと安らぎとは人類に必須のアイテムであるのだ。

グッドルーザー よき敗者となる

グッドルーザー よき敗者となる

ある意味で自己と付き合うには、good loser:よき敗者となるべきである。自己とは、生命による影であって、自己が存在しているから生命があるのではない。この「負けて参って任せて待つ」の思考こそが、自己の変容を生むのだ。このことについて考える。

脳の思考の作る仮想空間〜メタバース

脳の思考の作る仮想空間〜メタバース

思考は脳の仮想空間メタバースである。この脳はペンフィールドの脳内地図により、唇や手などの一部しか強化されていないことがわかる。脳全体を活性化するには瞑想が必要である。ヴィパッサナー瞑想では、脳全体の使用領域が広げられる。脳はそのために記憶領域と思考を発展させてきたのだから。

こころのレジリエンス:回復とは

こころのレジリエンス:回復とは

予期せぬトラブルによるダメージが起き、生命はリカバリー:回復される生きている。生命の営みとはそういうことである。人体を構成する生命である内なる細胞が、ダメージが生まれる度に回復力発揮させ、自己を回復させる。否応なくである。でも、それだけであろうか?それは何かを考える。

生きるための智慧

生きるための智慧

智慧とは日常で役に立つことでなければならない。単に自己の考えや誰かからの見聞きした知識ではなく。智慧とは、日常の生活で実際に役立つことそれは再現性があり、かつ誰にでも当てはまること。誰にとっても有益で実践できることから、智慧とは科学と言えるかもしれない。

皮袋とともに生きる〜Body in journey

皮袋とともに生きる〜Body in journey

人は物事をイメージ考えることが多すぎる。イメージとはわたしに生まれる妄想。私とは、骨格に付属された水入りの皮袋。この皮袋に入ったわたしの作る世界が妄想。世界を悪くしている要因はイメージにある。イメージで考えるな、目の前の現実で判断せよ。そうすれば世の中はもっと良くなるそう考える。

無明〜苦しみから解かれる

無明〜苦しみから解かれる

この苦しみは何だ。この苦しみから逃れたい。でも苦しみから逃れられない。これは苦しみに苦しんでる。際限のない状態、これは無明、身体と対話する。瞑想でより深く、より繊細にすると光が差す。これが苦しみから解かれるということ。わたしの知っている唯一の方法である。

自己というもの

自己というもの

自己というもの、人は生まれ死んでいく誰にでも当たり前に起きる。当然の真理生まれるとは、受精して、分裂し、母体から切り離された瞬間に境目生じる。個体が生まれる死ぬとは、この細胞の境目が保持できずに崩壊した結果、自己と他者の境界がなくなり世界と一体に戻る。これが自己である。